イラスト生成AI

 

 

不気味な絵を描くAI先生

ネット上の話題というものは、時間が経過するといつの間にか、今まで流れていった数多の話題と同じように誰も口にしなくなっていく。

AIイラストの話題も同じようなものなのだろうか?

そうだとして、それは皆が飽きたからなのか、それとも生活に溶け込んだからなのか。

 

AIイラストに賛否両論が湧く中、

私も趣味で絵描きをやってる身として、または情報で学問を修めた端くれとして、

「おー、すごい技術が手軽に使えるぞ!世の中のイラストレーター終わったw」

「こんな技術は前からあるのに何を今更騒いでいるんだ?」

の両方の意見を両手でジャグリングしながら、SNSに次々と流れてくるイラストたちを傍観していた。

 

何もやらずに意見は言えまい。こういうときは何事も一度手を出すに限る。

私はMidjourny先生に「Happy」の絵を描いてもらうことにした。

 

 

きっっも……

 

とか言っちゃ悪いか。

もしこれを描いたのが友達とかだったらそんなこと言わんしな?

いやでも不気味すぎだろ。Happyを知らんのかこいつ、こういう時に気を衒うなよ。

まあAIだから何言ってもいいか?

 

早速脳裏を錯綜する正直な感覚。

他の人の画像を見ても不気味なものばかり、この不気味さは芸術か?

 

しかし、これはAIが生成した「イラスト」です。というのだからこれは立派なイラストだ。

 

一度使ったら満足し、逆にそこからは

このAIに何を食わせているのか(学習させているのか)の方が気になってくる。

 

それはもちろん、今まで人類が描いてきたイラストたちなのだろうが。

 

AIのイラストを生成した時にキレる人たちの立ち位置

 

人類が描いてきたイラストたちを食ったAIがこれなら、これは世の絵描きやイラストレーターたちの歩みの結晶である。

良いと思えるイラストを生成できることは素晴らしいことであるし、良いイラストを作り出せない方がおかしい。

 

では、これを否定する人間は誰なのか。

 

「AIよりうまく描けそうにない絵描き」が考えられる。

 

嫉妬である。

 

他にも

「AIの描き出す絵と自分の作成する絵のジャンルが被っている人(仕事が無くなる)」

「AIが描く絵はなんとなく嫌だ」

も考えられるが、広くみれば同じ理由であると思う。

 

言いたいことはわかる。自分の描きたい絵を完璧にAIが出力してきた暁には、私が絵を描いている意味って何なんだろうと膝を抱えることになるかもしれない。

 

だが、それは視点を変えてほしい。

宙返りをボストンダイナミクスのロボットが決めた時に体操やパルクールをやめた選手がいたか?

三回転捻りをやり出したら体操選手は必要ないのか?

 

耳にタコができるほど聴いて得る言葉は何だ。

「他人と比較するな、自分は自分」

AIに対してもだ。

 

絵を描きたいやつは描けばいい

AIやロボットの本分は、「人のできないことや面倒なことを代わりに行う」である。

そのように扱えばいいだけだ。

 

ロボットがバック宙を決めても、人間はバック宙をやめないが、

ルンバがあるなら掃除をやめる。

しかし自分で掃除をしたい人は自分で床を拭く。

 

絵を描きたいやつは描けばいい。

人物を描きたいけど背景を描くのが面倒な人は、背景をAIにやって貰えばいい。

ストーリーがあるけど漫画を描きたくない人は、AIで漫画を書いてみればいい。

 

 

人工知能は、いくらでも学習する。人間ができるようなことなら何でもできるようになり、高い平均点をだす。

それを無視するか、柔軟に取り入れるかは自由だ。

 

ただ、やりたいことはやる、やりたくないことはAIに任せる。

この考えは、これからどんな技術が一般に普及しても持っていていい考えだと思っている。

AIは言うことを何でもやってくれる人間と同じであると考え始めると良いのではないだろうか。

 

もちろん、AIイラストに関しては自己申告性であり、

嘘をつけるという人間のガバガバな特性がどこまで発揮されるかという問題もある。

厄介極まれり。おいお前AIイラストでコンクール出してんじゃねえ。

 

AIの学習データについて

イラストレーターは、勝手にデータをAIに食われて勝手に新作を作られたら、たまった物では無い。

有名なイラストレーターはAIに食わせる訓練用データを高く売ればいいのでは無いか?

そう簡単にも行くまいが、著作権の派生のような別の権利がいるだろうか。

 

(おまけ)人工知能が進化した先にあるのは人類補完計画と近いようなもの

少し話は変わる。

 

人工知能はその名の通り、人工的に作った知能だ。

それは、学習したデータによって判断を下す。

統計学に近いそれは、人間ことを行っている。

 

いずれは、ロボットだって感情を持つ。

こういう時に怒るし、怒れば言いすぎるし、言い過ぎれば反省して謝る。

それらの流れをロボットが完全に学習したら

人間側も「こっちこそゴメン……」と思わず言うようになる。

 

AIが描いたイラストをすごいと褒め称え、AIは照れながらも嬉しそうにする。

描くように指示した人間が隣にいて、2人は手を繋いでいる。

何を指示するべきはAIによって決めている。

 

 

本当に人工知能が進化し、シンギュラリティのようなものを迎える時。

人類はどうなるのか。

 

どのように生まれ、何を好んで何を憎み、どのように年老いていくのか。

それらは全てデータ化され、サーバーという大きなユグドラシルの木のようなところで崇高に処理される。

生きる意味などというよりも前に人生に結論を出せる状態になる。

いつかは人間というひとつの大きな塊として、人工知能に認識され、または管理される。

あいつもこいつも無い、理想的な生物に昇華できるのでは無いだろうか

それが種の保存の終焉だとしても高尚な終わり方なのでは無いだろうか。

 

という妄想のお話。

 

エヴァンゲリオンを鑑賞しながら思いだしたことだ。

この考えは、人類補完計画に近いようなものだと思う。

人類補完計画とは、「出来損ないの人類を、単体としての生物に人工的に進化させる計画」(説明できるほどは理解していないのでなんとなくで)である。

あまりと言うとファンがキレるかもしれないのでやめますけど。

 

 

 

久しぶりにこ論評っぽい長い文章書いて疲れた。

普段から他人に物を頼むのとかあんまやらんからAIが進化すると助かるんだけど、かといってAIをめっちゃ頼るかって言うとそうでもない。自分でやりたいことが多すぎる。

これは将来の老害か?

はよ人類補完してくれぇ